【恋愛の詩20選】切なく美しい和歌や現代詩

鏡花
鏡花

こんにちは。恋愛の詩で心の傷を癒しがちな、
鏡花と申します。

そんなおり、平安時代に敦道親王を失っても歌に彼への想いを託した和泉式部の短歌に出会ったのです。

「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」

(私はもうまもなくこの世を去ってしまうでしょう。だから、せめてあの世での思い出に、もう一度あなたにお会いしたい。)

その歌を目にしたとき、時代を超えて私の心に響きました。大切な人を失った悲しみや、もう会えないと知りながらなお募る切ない気持ちは、今も昔も同じなのだと感じたのです。

和泉式部は、平安時代を代表する恋多き女性として知られていますが、中でも敦道親王との切ない恋は特別だったそう。

敦道親王が亡くなった後も、彼女はずっと彼を想い続け、その悲しみを何度も美しい歌に託して詠んでいます。

恋の詩は、詩人たち自身が経験した切なくて甘い恋から生まれたものがたくさんあります。ここでは、恋の詩や小説家の言葉を、少しだけご紹介します。

平安時代の恋愛の歌

小野小町(9世紀頃)

日本を代表する伝説的美女であり、恋の喜びと悲しみを繊細な歌に詠みました。彼女の美貌と気高さに惹かれて通い詰めた深草少将の悲しい恋物語(百夜通い)が有名ですが、これは伝説。実際の彼女の人生は謎に包まれています。

「思ひつつ ぬればや人の 見えつらむ 夢と知りせば さめざらましを」 (夢に現れたあなた。夢だと知っていれば目覚めなかったのに)
「色見えで 移ろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける」 (人の心は目に見えない花のように移ろうもの)

和泉式部(976-1030頃)

大胆で情熱的な恋の和歌を数多く残した女性です。皇族との激しい恋に生き、為尊親王やその弟・敦道親王との恋は宮廷を騒がせました。悲しい別れを繰り返しながらも、自分らしく生き抜いた女性として知られています。

「黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき」 
(黒髪の乱れにも気づかずに横たわっていると初めてこの髪をかき撫でてくれた人が恋しくて仕方がない)

「もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂かとぞ見る」 
(蛍の光すら自分の恋する魂のように思える)

在原業平(825-880)

平安時代を代表するプレイボーイとして知られ、『伊勢物語』の主人公のモデルです。自由奔放に恋を楽しんだ人物で、身分を超えた禁断の恋も多く、華やかな歌で多くの女性を魅了しました。

「起きもせず 寝もせで夜を あかしては 春の物とて ながめ暮らしつ」 
(春は起きるでも、寝るでもなく春の長雨をただ眺めています。恋する女性のことを想いながら。)
「思ふには 忍ぶることぞ 負けにける 逢ふにしかへば さもあらばあれ 」 
(恋しい気持ちを我慢しようにも負けてしまう、逢えるのならばどうなっても構うものか)

明治〜大正時代の詩

与謝野晶子(1878-1942)

情熱的で官能的な短歌で、当時の女性の感情を大胆に表現しました。師であり後に夫となった与謝野鉄幹との恋は、当時としては衝撃的で話題を集めますが、彼女はそれを堂々と貫きました。

「やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君」
(私のやわらかな肌の下を流れる、熱い血潮に触れてみようともせず、寂しくはありませんか?人の道ばかり説いているあなたは)
「その子二十 櫛にながるる黒髪の おごりの春の うつくしきかな」 
(その娘は今まさに二十歳。櫛を通せば流れるように揺れる、艶やかな黒髪。その誇りに満ちた青春の、なんと美しいことでしょう)

石川啄木(1886-1912)

短歌に素直で繊細な感情を詠みましたが、私生活では妻への苦労をかける一面もありました。生活に追われながらも妻・節子の献身的な愛情を受け、生涯にわたり愛と苦しみの間で揺れ動きました。

「わかれ来て 年を重ねて年ごとに 恋しくなれる君にしあるかな」 
(あなたと別れてから、年月が経つにつれて、年々あなたがますます恋しくなっていくのですね。)
「山の子の 山を思ふがごとくにも かなしき時は君を思へり」 
(山育ちの子どもが故郷の山を懐かしく思うように、悲しい時にはあなたのことを思い出すのです)

大正〜昭和前期の詩

北原白秋(1885-1942)

ロマンチックで色彩豊かな詩や童謡を作った詩人ですが、私生活では二度の結婚やスキャンダルを経験しました。苦しい恋も、創作の糧として美しい詩に変えていった人です。

「君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ」 
(君を見送る朝、舗道を歩く音がさくさくと響き、降り積もる雪がまるで林檎の香りのように感じられる)
「薔薇のかほりに むせび泣く 恋ははかなき 夢ぞとて」 
(薔薇の香りを通して恋の美しさと儚さを感じ、涙する心情を描いています。恋愛の一瞬の輝きと、その消えゆく運命が象徴されています)

萩原朔太郎(1886-1942)

繊細で孤独な感情を詩で表現した朔太郎は、妻に去られるなど悲しい恋に苦しみました。詩の中にはそんな切ない想いが色濃く表れています。

「人はなぜ恋におちて苦しまなければならないのだろう」 
(人はどうして恋をして、その結果として苦しまなければならないのだろうか)
「恋を失うとき、人は初めて人生に気付く」 
(恋を失ったその時、人は初めて人生について深く考えるようになる)

昭和中期〜後期の詩

恋人を親友に奪われるという悲しい青春を送りました。後に結婚しますが、愛する息子を亡くし、深い悲しみの中で短い生涯を終えました。彼の詩にはそうした悲しみが刻まれています。

中原中也(1907-1937)

正直過ぎては不可ません
親切過ぎては不可ません
女を御覧なさい
正直過ぎ親切過ぎて
男を何時も苦しめます

だが女から
正直にみえ親切にみえた男は
最も偉いエゴイストでした

思想と行為が弾劾し合ひ
智情意の三分法がウソになり
カンテラの灯と酒宴との間に
人の心がさ迷ひます

あゝ恋が形とならない前
その時失恋をしとけばよかつたのです (『恋の後悔』より)

太宰治(1909-1948)

激しい恋愛と何度も繰り返した心中未遂など、破滅的な恋に生きました。小説にもその悲劇的な愛が反映されており、多くの女性を惹きつけましたが、最終的には恋人とともに命を落としています。

「愛は最高の奉仕だ。みじんも自分の満足を思ってはいけない」 (『斜陽』より)
「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」 (『斜陽』より)
「少なくとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを意志だと思う。」(『チャンス』より)

寺山修司(1935-1983)

前衛的な詩や演劇を手がけた寺山は、女優の九條今日子と結婚しますが、母親との葛藤もあり結局離婚しました。ただ、その後も元妻とは芸術的パートナーとして良好な関係を保ちました。

「さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう」
「片思いはレコードでいえば、裏面の曲のようなものです。 どんなに一生懸命唄っていても、相手にはその声がきこえません。」

現代の詩

俵万智(1962-)

『サラダ記念日』で知られ、恋する女性の日常や感情を等身大に詠んで人気を集めました。実生活ではシングルマザーとして息子さんを育てることを選び、自由で自立した女性として注目されています。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」(『サラダ記念日』より)
「思い出のない朝をまた迎えても二人の過去が増えるだけだし」 (『サラダ記念日』より)

今日も良い日でありますように

日本文学には数え切れないほどの美しい「恋の詩」があります。詩人たちが紡ぎ出した美しい言葉に触れ、あなた自身の恋の感性をさらに深めてみませんか?